「若冲さん」 28 20211118
「お前さんのすべてを懸けた絵画三十幅。いますぐすべて寄進するとは太っ腹な。
しかし、なぜだ? いつそれほど厚く仏道に目覚めた?
お前に若冲居士の仏名をやったのは、たしかに私だ。
がそれは、画描き三昧でいるための方便にでも使えばよいと、くれてやったもの。
お前さんもその程度の気持ちだったろう? 信心などハナから期待しておらん」
殊勝なことを言い出した若冲の真意を測りかねて、大典禅師が問い質す。
若冲は憑き物の落ちたような表情で応えた。
「はい、たしかに信心が高まったゆえということではなく。
ただ、描き上げたので、わたしは。それ以上、望むものとてなし。
できれば、もう何も、したくないんですが……」
つまり何か? 描く過程と描き上げた事実だけで満足、あとは何も要らんというか?
大典が更に問うと、若冲がまなじりをすっと緩めて、
「はい、おかげで、ひとつごとを成せましたから」
と小さいながら澄んだ声を上げ、続けて思うところをひと息のうちに述べた。
「ちいさいころから、人並みにできることなど何もなかったわたしです。
ひとつたりとも成せることなどないと、とうにあきらめておりました。
わたしが暮らした錦通りを行き交う世間の者はみな、立派に見えたものだった。
子を成し、家を守り、後世へ何かを継いでいく算段を、誰もが見事にし仰せていた。
わたしにはどれもとうてい無理なことでした。
ならば、できればハナから何もしたくない。
そう頑なになっていたところ、画材を譲ってくれたのは大典禅師、あなたでしたな」