「若冲さん」 23 20211113
完成? ほおっ!
ユウが思わず素っ頓狂な声を上げてしまったのも無理はない。桝源の当主・四代目伊藤源左衛門だった若冲に仕えて早十年余。描き上げた画を見るのはこれが初めてだったのだ。
何しろ始まりは、四代目が唐突に鶏を飼うところからだった。庭でそれらが駆け回るのを、呆けたようにただ眺め渡すばかりの日々がおよそ五年。その後に絵道具を持ち出すも、そこから三年超は墨一色で鶏の姿を素早く写し取ることだけに専心した。やがて顔料を持ち出し、鮮やかな色合いを画面にじっくり、ゆっくり置いていくようになって二年以上。この間に一枚たりとも、次の朝まで取り置かれた画などなかった。
若冲のこの十年のおこないはすべて、手習いであり修練のためのものだったわけだ。
このたび完成した画がここにあるということは、そうした日々が報われてかたちを成したということなのだろう。近くでただ見守ってきただけでのユウですら、身の内に柔らかい光が差し込んでくるような気持ちになった。ご当人の感慨深さたるや、いかばかりか。そう思ってユウは若冲を窺った。
ぱっと見はもちろんはしゃいだ様子もなく、肌がくたびれ着流しの肩を落とした初老の男がぽつねんと座っているだけ。ただしおとなしく完成した自作を眺めやるその表情は、憑き物が落ちたようで、すんと凪いでいた。
どれ長い月日の末に出来上がった画とはどんなものなのでしょう? 産まれ出た我が子の顔を初めて覗くときもこんな気持ちやも知れない。経験もないくせにそんなことを思いながら、ユウは若冲の肩越しに画を見やった。
はあっ……。これは、鶏だ。しかもたくさん。
「鶏が、いっぱいいますねえ」
ユウは見たままの当たり前を、思わずつぶやいた。