「若冲さん」 9 20211030
画材を大事そうに持ち帰ってきた四代目を見て、ユウは訝った。
これはいったい誰が使うものなのだろう。まさかご当人が?
彼が絵を描きたいだなどとは、ユウはまったく気づきもしなかった。彼はただ、鶏を見るのが好きな人としか思っていなかった。
よくよく教えを受けてきたのか、四代目は画材を手際よく片付け整頓した。
済むとさっそく紙を広げはじめた。早くも何か描くつもりか。
色とりどりの顔料にはまだ手をつけず、手元に用意したのは墨一色だった。
深く摺った墨をたっぷりのせた筆先を、紙の上へ落としていく。筆は滑るように動いていった。そこになんのためらいもない。
はていったい何を描かれるおつもりか。すこし離れたところから興味津々で様子を覗き込んでいたユウは、四代目がいったん筆を置いたときに改めて紙の全体を眺めやって、一驚した。
あ、鶏だ! 庭の鶏が、紙の中にいる……。
ユウは四代目がこんなに筆を達者に使えるなんて知らなかったし、わたしにでもすぐ何を描いたかわかるものをすらすら描けてしまうなんてすごいと思った。
ユウは思わず庭先に眼を移した。庭にいたはずの鶏がいま一羽、紙の中に吸い込まれてしまった、ということはひょっとすると庭のほうでは、一羽減っていたりはしないかと思ったから。
さすがにそんなことは起こらなかった。鶏たちはいつもの数だけいて、呑気に土草をついばんでいる。
それにしても、とユウはもうひとつ気づく。
四代目は描いているあいだ、一度たりとも庭の鶏に眼をやったりしなかった。目の前にいる鶏の実物を写したわけじゃなさそうだ。
とすると、あの絵の鶏はどこからやってきたのか。
当主様の頭の中から像が出てきて、当主様の指先が像のかたちを現実に在らしめてしまったわけか。
魔術みたい……。そんなことを考えて、ユウはうっとりした。