「若冲さん」 12 20211102
墨一色で紙を埋めていく、いわば書道と同じ描き方で、鶏ばかり描き続けることを続けて二年余りが経った。
暮れも押し迫ったある寒い朝、いつものように朝食を済ませた四代目は、今日も墨を取り出してさっそく鶏を描き出すかと思えば、そうではなかった。
ユウが朝の膳を下げるとすぐ描き始め、そのまま日がな没頭するのが常だったけれど、今朝の彼は立ち上がって道具を取りには行かない。厚い座布団の上で薄眼になったままである。
眠っているわけではなさそうだ。脳裏に映した何かを、実際の眼ではなく心眼で、矯めつ眇めつしている気配が感ぜられたから。
そのうち、畳の上にそっと添えてあった右手の指先だけが、微細に動き出した。縮めたり伸ばしたり、円を描いたり。どうやら筆は持っておらずとも、四代目はやはり今日も変わらず絵を描いている。現実の世界でではなく、頭の中で。
座して全身は微動だにせず、ただ右手指先だけがもぞもぞと動く状態が、日がな続いた。
はたから見ればどうかしてしまったのか、ネジが飛んでしまったのではないかと心配になりそうだ。
ユウも最初は案じたが、もし頭の中で絵を描いているのだとすれば、彼はいつも昼食も摂らず一心に筆を握り続けているのだからそれと同じなんだろう。姿勢が日頃とはすこしばかり違うに過ぎなかろうと考え、声もかけずにそっとしておいた。
陽がすっかり傾いた頃になって、四代目は両眼をすっと開き、ごくゆっくりと二度うなずき、すいと軽い身のこなしで立ち上がった。そうして室の外れの物置き場へすたすたと歩を進め、長らく誰もさわることのなかった包みを取り出してきた。
相国寺から持ち帰ってきた絵描き道具である。これまではそのうちのごく一部、何本かの筆と硯、紙しか使っていなかった。ほかにも色とりどりの顔料やそれらを溶いて伸ばすつなぎの液、幾枚もの小皿にさまざまな形状の筆は未使用のまま置いてあって、それらがいまいよいよ日の目を見ることとなったようだ。
鶏を眺めて三年余り。墨一色で鶏を描き続けて二年余り。
合わせて五年強の月日を経て、四代目はようやく色のついた真っ当な絵を描かんとしているようだった。