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「若冲さん」 2    20211023

 京都高倉錦小路にある青物問屋「桝源」当主、三代目伊藤源左衛門は元文三年に没した。

 跡を継ぐのは嫡男、のちに若冲を名乗る四代目伊藤源左衛門と相成った。
 このとき二十三歳の働き盛り。脳力肢体とも万全であった。が、家業に精を出すことはなかった。

 錦の旦那衆に世襲お披露目する際には、よけいな決意表明などもちろん述べず、ただ申し訳程度に頭を下げた。
 それほど嫌なら継がなければよかろうとも思うが、継ぐ継がないを言い出せばそれはそれでバタバタ揉める。それもまた面倒だと思い、父の死よりこの方、何を訊かれてもただ頷き生返事をしてきた結果がこれだ。

 では四代目、日ごろは何をしているか。父が病に伏せっていた奥の室に始終引き篭っているばかりである。
 知らぬ人なら殊勝にも喪に服しているのかと思うだろうが、彼が仏に手を合わせたことなどあったかどうか。
 そうではなくて何をするでもなく、人付き合いだけはなるべく避けて、とにかく部屋に篭りっきりなのだ。

 唯一長続きしている絵を描く趣味もこのところ影を潜め、絵筆を持った姿を見たことがない。
 ただ、ひとつだけ目立った動きがあった。篭った部屋に面した庭で、彼は鶏を飼い始めた。

 最初は二羽。知らぬうちに数は増えていき、最終的には六、七羽がさほど広くない庭を駆け回ることとなった。
 四代目は鶏たちを大いにかわいがる……というわけでもなかった。丁重に扱いはするが、戯れたりすることはない。

 縁側に座り込んで、籠から出され庭で羽根を伸ばす鶏たちを、いつも黙ってただ見つめた。
 その目つきは、ちょっと独特だった。愛でるというのでもない、漫然と眺めるでもない。

 光景の全体と鶏の細部を交互に見やりつつ、どこか特定のところを熱心に見ることはない。知らずその姿に出くわせば、彼は呆けているのか? とふつうは思うにちがいない。


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