「若冲さん」 40 20211130
「いや本当にもう、自分ごとの用向きや願いなど、何もないのだ。
幼少のころより何も成せなかったわたしが、三十幅の画を描き、相国寺へ寄進できた。
ひとつごとを為せたいま、我が心の内の視界にはただただ、平坦な湖面が広がるのみ。
そんな折に、縁ある者たちの困り顔が目に映ればどうなるか。
できるだけのことをしてやりたい。そう思い腰を上げるのは当然であろう?」
なぜここまで錦市場を救うのに躍起になったのか。策が見事にハマったのはなぜか。
ユウのそんな疑問に、若冲は思うところをそう応えた。
自分ごとがないから、持てるすべての手間隙を周りに振り向けることができる。
自尊や利己の心などもう捨てたから、利他を達成しようと一心になれたというわけか。
かくして営業禁止が解けた錦市場は、再び動き出した。
そのまま活気を鮮やかに取り戻し……といけばいいが、そうそううまく話は進まない。
青物中心の市場は水モノ商売ゆえ、半年の空白期間はやはりあまりに大きい。
仕入れ先も得意客も、この半年のあいだは他所で売買をして生業を繋いでいたのだ。
新しい商売の道筋や関係性、習慣がすでに生じている。
錦が復活したからといって、すぐに旧来のかたちに戻すわけにもいかぬ。
営業再開したとて、錦市場に調子と活気は、いっこうに甦らなかったのである。