「若冲さん」 25 20211115
画の中の十三羽の鶏たちはそれぞれ、他の鶏と絡まりもつれ合いながら、我ここにありと主張している。
その迫力に気圧されて、ユウは「観ていて、なんだか怖い」と述懐したのだった。
その反応は、思いがけず若冲に強く響いた。言葉は彼の胸の奥へすとんと落ち、底を打つ反響が若冲の体内に広がり身を震わせた。
「こんなにありがたいものか。見てもらえ、わかってもらえるということは」
世間はおろか、親族とまで没交渉を貫いてきた若冲である。見守ってもらうだけで力が湧くことを、齢四十になって初めて知った。
そして若冲は、初めて完成させることのできた画を前にして、描くことに込めてきた思いについてユウに包み隠さず話をした。最も身近にいてくれるユウにでさえ、これほど明け透けに述べるのは初だった。
慣れぬゆえ言葉はぽつりぽつりとしか出てこないが、ユウはそんなこといっこう構わず、粘り強く耳を傾けた。伊達に十年以上も若冲に仕えてきたわけじゃない。世間のそれとはまったく異なる時間軸を、とっくに自分のなかに確立させてある。
若冲が開陳したのは大意このような心情だ。
生命を生み出す。描くことでしたかったのは、それに尽きる。
というのも……。物心ついたころから、自分があらゆることを薄くしか味わえないことには、気づいていた。
競争欲というものが、決定的に欠けていたのだ。
弟たちと玩具の取り合いになっても、いちど引っ張ってみて相手が離してくれないようなら、すぐあきらめて手放した。錦通りの同年代の子らと遊ぶのでも、相撲、かけっこ、かくれんぼう、競って勝とうとすることに喜びなど見出せない。争う前から勝負を投げてしまうから、「つまんねえこいつ」と馬鹿にされ放っておかれた。
両親の愛情や関心を奪い合う競争にも、入り込む気にはなれない。それで親からの寵愛や当主よりの重用は弟たちや店の者らへ分配され、自分のもとへはこぼれてこなくなった。
そんなだから、人への執着も持てずじまい。親族はもとより出入りする客人、近隣の市場の人たちも含め、深く関わることはなく、関わるすべも学べぬままだった。それゆえか、年頃になっても性欲までが薄いく、寄り添いたい相手などむろん見つからぬままに過ごした。
関われない、交われない自分を、本人も気に病んだ。
これでは家も継げない、子孫も残せない。後の世に何も繋げられない自分は、無ではないか。そう引け目を感じたが、どうすることもできず齢だけを重ねた。
救いと突破口を自分なりに探そうとはしていた。仏の教えに縋るのも一案だろうと、勢いを見せていた禅宗の寺院に足を運んだりもしてみた。そこでたまさか講話を聴けたのが、相国寺の大典禅師だった。
大典は興がのると、寺宝の書画骨董を惜しげなく集まった者に披露した。衆人に混ざって遠目に、古い書や掛け軸をあれこれ見た。理由もなく惹かれるものもあれば、心になんの引っ掛かりも生じないものもあった。
そこではたと気づくところがあった。なるほど、画か。描くということ、それはたいへんおもしろいのではないか。
外界を紙の上に写す。それに何の意味があるかはわからぬが、すくなくともこれは誰とも競争しない。ひとり静かに、自分の眼と手を駆使して外界を写し取るだけ。
それに……、画とは残し伝えられるものでもある。事実、自分はここでこうして、見も知らぬ先人の残したものを見て、何かを感じたり感じなかったりしているのだ。