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「若冲さん」 20    20211110

 相国寺の高僧・大典顕常のお墨付きを得て、四代目伊藤源左衛門は伊藤若冲居士となった。

 大典から改名の提案を受けた四代目は、すぐさま錦通りの大店・桝源の家督を弟へ譲る算段をつけ、自身は早々と隠居の身になったのである。

 これを機に居所も改めた。店からほど近い鴨川のほとりに、ほとんど忘れかけられていた伊藤家所有の寓居があった。そこでひとり寝起きし、在家の仏道修行者として日々を送ることとした。

 市中の閑居とはまさにこのこと。四代目改め若冲は、ここでつましく暮らすと決めた。
 見ようによっては、出来の悪い邪魔者の主が立場を追い落とされ、家からつまみ出されて、川のほとりで半ば姥捨て状態になっているともとれる。そんな噂を吹聴する者も、錦通りには少なからずいた。
 だが実際はそうじゃない。すべては若冲の望み通りに事は進んだのだった。

 若冲は家督継承の手続きや、居を移すにあたっての修繕整理の類を手際よく、あっという間に成し終えた。
 家の者は呆然とした。四代目のこれほどシャキシャキとした物言いや素早い身のこなしを、ついぞ見たことがなかったから。いや、そういえば子どものころはこんなだった、利発で好奇心に富んで、店に出入りする無数の人や商売ものの青物を、興味津々に観察していたものだと思い出す古参の者もいた。

 なぜこの手腕を、店の切り盛りに発揮してくれなかったのだ? そうこぼす向きもいたが、若冲本人はどこ吹く風。とっとと後始末を終えて、さっさと川べりの寓居へ引き篭ってしまった。
 そうして彼は狭い部屋で何をしていたか。仏道の修行? まさか。それは単なる方便だ。
 日がな打ち込んでいたのは、もちろん画を描くことである。

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