「若冲さん」 14 20211104
四代目は極細の筆を短く持ち、背を丸め床に突っ伏すような姿勢で、初めて手がける色付き絵を描き進めた。
ただし筆の運びは、なんとものろい。
紙に筆がつくと同時に息を止め、地上のどんな生きものの歩みより遅い速度で筆を動かし、息が続かなくなると筆を引き上げる。
そんな一連の作業で紙の上に残るのは、よほど凝視してようやく気づくシミのような点ひとつ。それは絵の一部になるのだろうが、この時点で何を描こうとしているのか見当もつかない。
四代目はこの作業を、たゆまず続けている。ものひとつ言わず、姿勢を変えることすらせずに。
庭の鶏をただただ見ていたり、墨一色で鶏を描いたりしていたこれまでも、他事など眼中にない態度だったものの、顔料を持ち出して色付き絵を描き始めたいまは、以前にも増した没頭ぶりだ。
あんなに高く上っていた陽もすでに姿を隠し、庭先や縁側はまだしも室内はもうほとんど眼が効かぬほど暗くなったのに、四代目は姿勢を崩さない。
賄い厨房から夕餉を運んできたユウは、わずかな残光をたよりに筆を動かす四代目を見かねて、
「もし。お膳のご用意がすでにございますが」
できるだけ抑えた声で問いかけたが、
「……できれば、……したくない、んだが……」
と掠れた言葉が返ってくるばかりで、筆は止まらない。
四代目がはたと我に返っていそいそと道具をしまい出したのは、庭から入る残光が完全に途絶えて室がまっ暗闇に包まれた頃合いだった。これではどうにも描きようがなくなり、ようやく手を休めることに思い至った様子だ。
それから灯をともして膳の前に座った四代目だったが、箸は大して進まない。筆を置いてもなお心ここに在らずな風情を見て、ユウはなぜだか切ない気分になった。
ものもろくに喉を通らず、筆を下ろしているあいだ呼吸すら忘れる有り様。これから毎日こんな調子が続くだろうことが、ユウには容易に予想できた。それではきっと身体に障るだろうにと心配だった。
案の定、四代目はこののち判で押したような日々を重ね、見る見るうちに痩せこけていった。