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スタッフ・庄子の展覧会レビュー #01 松江泰治「LIM」 – なんにもわからない

突然始まりました、スタッフ・庄子の展覧会レビュー。

株式会社コルクにて、山内宏泰のお手伝いをしている、スタッフの庄子と申します。
そろそろ人生がハードモードになってきた、イメージ論を学んでいる大学3年生です。

山内さんからのご好意で、このような企画をさせていただくことになりました!
美術・写真にかんしてもまだまだな私ですが、せいいっぱい書きますので、よろしくお願いします。

 

さて、記念すべき第1回は、松江泰治の「LIM」です。

12月号のアサヒカメラをぱらぱらとめくっていたら、目に飛びこんできた墓地の写真。
いや、はじめは、墓地だとはまったくわかりませんでした。
キャプションを見てみると、ペルーのリマで撮られたもの。

砂埃につつまれた、カラフルな四角いコンクリートのかたまりたち。
たしかに松江泰治ならではの空撮の写真で、ぽかりと穴があいた墓たちが、画面をぎゅうぎゅうとうめています。
けれど、なぜか、いままでの見た彼の写真とは、どうしてかまるきりちがうふうに見えたのです。

ギャラリーに赴いて、あることに気づきました。
この「LIM」シリーズは、松江泰治の写真を見るうえでいちばん重要な、「大きさ」のヒントがなんにもない、ということに。

彼の写真にうつっている、たとえば木であったり家であったりは、どのくらいの大きさのものであるのか、あるていど推測することができました。
いくら空中から、ちいさくちいさく被写体をとらえていようと、それがなにであるのかがはっきりとわかっているので、かんたんに縮尺変換ができたのです。

けれど「LIM」シリーズは、なにが写っているのか、わからない。
いや、わかるんだけれど、それがコンクリートの塊であって墓であることはわかるんだけれど、生まれてはじめて見るこれらの墓が、「どれくらいの大きさか」がまったくわからないのです。

鑑賞者の持っている、被写体にかんする情報のすくなさ。
異国の墓地にかんする、情報のすくなさ。
それがこの松江泰治の写真を、「超具体的でありながら超抽象的である」という、違和感のあふれる写真にしています。

国や宗教、生、死など、この「LIM」シリーズには、もちろんたくさんのエッセンスがこめられています。
けれど、それを感じるそのまえに視覚の混沌におぼれてしまったわたしは、まっしろなギャラリーでひとり、空中へと放りだされてしまいました。

 


松江泰治「LIM」
2015年11月28日 ~ 2015年12月26日
TARO NASU(http://www.taronasugallery.com/exh/exh_forth.html

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